戦争の記憶~祖父の話より~

原爆の日やら終戦の日が続いて、戦争に関する番組もちらほらやっているようです。
そういった番組を見ていて、ふと思い出した祖父の戦争体験談。
以前にもこのブログに一部書きましたが、もう少し書き加えておこうかなと思います。
第二次大戦当時、祖父は10代後半。
平和な時代であれば青春真っ只中のはずでしたが、田舎の農家出身の祖父は学徒出陣で徴兵され、最初は訓練を受けながら空襲の被害を受けた地域での遺体処理したり、その後は空軍で飛行機に乗ったりしていたようです。
敗戦が色濃くなる時期に入ると、ろくに訓練も受けていない10代後半~20代の若い学生たちまでもが戦地に駆り出されていったんですよね。訓練を受けていたからいいというわけでもないですが・・・
静岡県浜松であった大空襲後の遺体処理は、手足が吹き飛び、眼球が飛び出したようなむごい物ばかりで10代の少年にとっては相当ショックだったろうし、苦痛以外のなにものでもなかったと思います。
防空壕に避難していた人たちが全員爆弾でやられてしまっていた場所もあったそうです。
「兵隊さん、うちの子を助けて」と血だらけの赤ん坊を抱え、自身も痛手を負い動けなくなっている母親に引き留められたけど、祖父にはどうすることもできず、泣く泣く立ち去ったという話もしてくれました。
飛行機は非常にシンプルな作りで、高度1000メートルを超えると寒くて手はかじかみ、思うように操縦するのが難しかったそうです。でも、地上からの砲撃を避けるためには高度2000メートル以上で飛ばねばならず、寒さでガタガタ震えながら、必死で手の震えを抑え込むために手をハンドルに縛り付けたりしていたそうです。
仲間の中には凍傷にかかるものも多かったとか。
祖父の空軍での役目は攻撃ではなく、偵察と情報伝達が主だったようなので、人を殺したという体験はしていないと思っていますが、もしかしたら誰にも話していないだけかもしれません。
戦時中に敵方だった相手とはいえ、その人も家族も恋人もいるただの人です。個人的にはなんの恨みもない人を殺すということは想像を絶するほどのストレスを抱えることになります。
そして、以前も書きましたが、祖父の兄は20代の若さで、行きの燃料だけ積んで敵艦に突っ込む人間魚雷に乗りこみ玉砕したそうです。
祖父は87歳になりますが、今でも戦時中の恐ろしい体験がフラッシュバックすることがあるそうです。
終戦から70年近くたった今でも、戦争を体験した人たちは苦しんでいるのです。
戦争なんて百害あって一利なしです。
今のイラクやガザ、ウクライナを見ていても思いますが、一部の人間のエゴのために、関係ない多くの一般市民が犠牲になっていることに心が痛みます。
武力で抑え込めば、抑え込まれた者たちが反発するのは当たり前。それをまた武力で抑え込もうとする。これでは永遠に終わらない悪循環。
武力に武力で対抗すれば戦争になる。どうしてそこに気づかないのかなぁ・・・?

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