心理カウンセラーのどなが気まぐれに書くブログ
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子どもの力 〜幼児期の決断〜
私には子供はいませんが、甥っ子たちを見ていると、子どもの感じる力や察する力ってすごいなぁって思います。もう1歳くらいから子どもって、周りに気を使うようになるんですね。

まずは2人兄弟のお兄ちゃん、現在6歳の甥っ子1号のエピソード。
言葉を覚え始めた頃からすごく周りに気を使う子で、母親や父親のみならず、その場に一緒にいた人たちのうち、誰か一人でも姿が見当たらないと「○○しゃん、どこ?○○しゃ〜ん!」と名前を呼び、探していました。ちょっとお手洗いに立っただけでも、です(笑)
一度、うちの両親とカナダに住んでいる上の妹一家と下の妹一家と私で結構人数が集まった時があったのですが、2歳になったばかりの子がその場に誰がいたのかをしっかり把握していて、一人でも姿が見えなくなると心配していたことに驚きましたね。
またある時は、お散歩中にたまたま一番後ろを少し離れて歩いていた私の母を見て、甥っ子1号はテテテ〜と走って戻って「よいしょ、よいしょ」と歩いている母を後ろから押していたこともありました。おばあちゃんが置いてけぼりになったら大変だと思ったんでしょうね。
さらに気ぃ遣いぃの甥っ子1号、3歳の時に私に抱っこをせがんできたので、私が抱き上げて思わず「あ〜、リンちゃん重たくなったねぇ」と言ったら、すごく申し訳なさそうに「重い?ボク重い?」って聞いてきたんですよ。
「そうだねぇ、リンちゃんは大きくなったもんね」と言ったのですが、それ以来、甥っ子1号は自分から私に「抱っこして」とは言わなくなった気がします。母親である私の妹が抱っこしようとした時にぎっくり腰になって動けなくなったことがあったので、小さいなりに気を使ったのかなぁと。

甥っ子2号の方は、現在4歳。甥っ子1号とは違って、かなりマイペース&ちゃっかり者。
そしてお兄ちゃんが大好きで、何でもマネしたい。
甥っ子1号の使っている物を何でも使ってみたくて、甥っ子1号がよそ見した隙にコッソリ盗み取るので、それに気づいた甥っ子1号が怒ってケンカになる。
うちに来た時は、遊び相手である私を取り合ってましたね。本当に「なぁちゃんは、あっちで僕と遊ぶの!!ソウちゃんはあっち行って!」「やぁだ!なぁたん、こっち〜!ボクと、ボクとぉ〜!!」と左右から引っ張られて困ったこともあります。きっと甥っ子2号にとっては私も「お兄ちゃんの使っている物」の一つだったんでしょうね(笑)

そんな甥っ子2号ですが、つい最近、いろいろあって私が落ち込んでいた時期があって、甥っ子たちが来た時は表に出さないようにしていたつもりでした。でも甥っ子2号は、私の顔を見て何か感じとったようで、何も言わずに私のところに来てギュ〜っと抱きしめてくれたんですよ。「どうした?」と聞いたら「なぁちゃん、元気ないから」と。

ちなみに「なぁちゃん」という呼び方は、甥っ子1号が言葉を覚え始めた頃に「おばあちゃん」と「おばちゃん」の使い分けができなくて、どっちを呼んでいるのか分からなかったので、妹が私のことを名前で「なおちゃん」と呼ばせようとしたけど、これもうまく言えずに「なぁちゃん」になって、甥っ子2号もそう呼ぶようになって、今もそのままです。

話がそれましたが、本当に幼児と言えど侮れないですね。
大人が思う以上に、しっかりいろんなことを見ていて、いろんなことを感じ取って、幼いなりに気を使っているんだという事がよく分かります。

その幼児期から人間は、自分の身を護るためだったり、親から愛情をもらうために周囲の環境に合わせて人生に関わる様々な決断をしていきます。例えば「親の言う通りの良い子にしていれば愛してもらえる」「いつまでもかわいい子どものままでいたら愛してもらえる」「何でも一生懸命頑張れば、両親は振り向いてもらえるかもしれない」「親がいつ怒り出すか分からないから、いつも顔色を覗っていなければ」などなど。
これら『幼児期の決断』の集まりが『性格』だと言われています。
もちろん生まれつきの性質もあるのですが、後々の人生まで大きな影響を与えるのは、やはり幼児期の決断なのです。
『幼児期の決断』には現在分かっているだけで20以上あります。
これらの決断の中には、子どもにとって過酷な状況の中での悲しい決断したもので、その人生にずっと暗い影を落とし続ける場合もありますし、子どもの頃はこれらの決断でうまく行っていたものの、成長していく中でいつの間にかそれが自分自身を傷つけ、ストレスになる場合も出てきます。

その中で今度の『PMSが楽になるセミナー』の中で扱う決断が「お前の性であるな」「成長するな」「セクシーであるな」の3つです。

・「お前の性であるな」は、女性であれば「女性らしくしてはいけないような感覚」、男性であれば「男性らしくしてはいけないような感覚」があります。
今回のセミナーは女性向けなので、「女性らしくあってはいけないような感覚」を扱います。ちなみに、この「お前の性であるな」の決断は、性同一性障害とは全く関係ありません。
実はこの決断が強い人の場合は、服装などで結構わかりやすいですが、これについてはセミナーの中でお話ししますね。女性で「お前の性であるな」の決断を持っていると、女性の象徴ともいえる月経に対しても無意識に抵抗を感じていてストレスとなり、それがPMSを重くなる原因となります。


・「成長するな」の決断が強い人は、男女問わず外見やしぐさが幼く見える場合が多いですね。大人なのに子どもっぽい感じがします。
甘え上手なせいか周りがいろいろと世話を焼いてくれるので、この決断を手放したがらない人が多いのですが、様々な場面で責任を求められ、「できない」では済まされない大人社会の中では非常に生き辛く、ストレスが多いと思います。
「成長するな」というのは「ずっとかわいい子どものままでいる」という決断なので、大人の女性の象徴である月経は「かわいい少女として、いつまでもかわいがられたい」と思い続けている人にとっては大きなストレスとなり、PMSを重くなる原因となります。

・「セクシーであるな」は、色気を感じさせてはいけないという決断です。男女問わずこの決断を持っている人はいます。
この決断があると、性的な事や表現、セクシーな人に対して嫌悪感を感じるようです。
性的虐待やレイプの経験者は、特に自分の身を護るために「セクシーであるな」の決断をした人が多いです。もちろん、そうでなくても決断する場合もあります。
先ほどの「お前の性であるな」とセットで決断していることも多いですね。
「セクシーであるな」の決断を持つ女性にとって、性的な事を意識させる月経はやはりストレスになって、これもPMSが重くなる原因となるのです。

このように、幼児の頃から生きていくためにした「決断」は、自分に課した『禁止令』でもあり、大人になってからは周囲の環境や状況に合わなくなって自分自身を苦しめることがあるんですね。
でも、大丈夫!これらの『決断』は自分で決めたことなので、自分で変えることができます。
今の自分を苦しめている『決断』を手放せば楽になるのです。


『PMSが楽になるセミナー』のお申込み、お問い合わせはこちら
PMSが楽になるセミナー
前回もこのセミナーの告知をしたのですが、足のケガや体調不良で思うように宣伝活動ができず、残念ながら開講できませんでした。
このPMS講座は半田市で活動しているハピコミクラブさんでの定期講座ですので、繰り返し開催する予定です。

さて、「PMSが楽になるセミナー」次回は9月に開講予定です。

PMS(月経前緊張症)は女性ホルモンのサイクルが引き起こす症状なのですが、実はPMSのつらい症状は女性ホルモンだけではなく、原因の50%以上はストレスなのです。

この講座では、月経に対するネガティブなイメージを吹き飛ばし、女性であること、大人の女性として成長すること、セクシーであることを自分に許すことで、余計なストレスを減らし、PMSをコントロールして楽にしていこうという内容になっています。
また、更年期障害についても少しお話したいと思います。

この講座を受けた方はPMSが軽くなるだけでなく、若々しくきれいになっていかれる方が多いんですよ♪
せっかく女性として生まれたのですから、PMSや更年期障害を軽くして、もっときれいになって女性としての人生を楽しみませんか?

【日時】
第1回 2014年9月27日(土)14:00〜
『PMS(月経前緊張症)とは?』
第2回 2014年10月11日(土)14:00〜
『月経の嫌なイメージを払拭しよう!』
第3回 2014年10月25日(土)14:00〜
『自分が女性であることを許そう!』
第4回 2014年11月8日(土)14:00〜
『自分が成長することを許そう!』
第5回 2014年11月22日(土)14:00〜
『自分のセクシーさを許そう!』
【定員】10名
【受講料】15,000円(5回分) 1回90分 全5回
【場所】半田市市民参画支援センター内 ハピコミクラブ
    (半田小学校内 半田幼稚園前駐車場をご利用ください)

お申込み・お問い合わせはこちらから
本音と、自分を大事にすること 〜私の問題解決法〜
私は講師の仕事を去年から始めましたが、実は人前で話すことが大の苦手です。今でも。
だから、セミナーを開くと決めてからも「あ〜、やっぱり辞めたい。でも告知しちゃったし」というのを繰り返しながら、セミナー以外の仕事ばかりやっていたり、現実逃避をしたりと、ギリギリまでセミナーの準備を引き延ばしてしまいます。最初の頃なんか、もうガタガタ震えながらやっていました。
心の健康について大事な情報を提供して関心を持ってもらうことや新しい人材を育てることも心理カウンセラーの大事な仕事なので、セミナーは避けて通れない仕事の一つ。
この仕事を選んだ時に覚悟を決めたはずなのに、やっぱり人前で話すことがすごく怖くて、逃げ出したくなる。

でも逃げてばかりもいられないので、師匠や仲間にカウンセリングをしてもらって、いくぶん逃げ出したくなる気持ちは和らいだものの、やっぱりセミナーをやることを関係者の方に伝えたとたんに、何もしたくなくなるのです。

「う〜ん、まだダメかぁ。どうしたらいいかな」と考えていて、クライアントさんによく言っていることなのに、本当の気持ちを受けれることを自分自身ができていないことに気が付いて、この「本当は人前で話すなんてやりたくない」という気持ちを受け入れてみた。
「人前で話したくないんだから、セミナーなんてやりたくないよね。もうやめちゃおう」って。そして、本当に収入が減ること覚悟でセミナーのことを考えずに数か月過ごしてみました。
自分の本当の気持ちを受け入れるというのは、自分を大事にすることの一つです。受け入れることでストレスを減らすことができます。

そして、その間に自分の周辺を過ごしやすい環境に整えていきました。
今までやろうと思っていながら中途半端になってしまっていた事を片づけ、いらないものを全部処分し、壊れかけて使い辛かった物を新調し・・・要するに自分にとって心地よい環境を作り上げたんです。
これも自分を大事にすることです。おかげで気分がすっきりして、ストレスが減り、心のパワーが戻ってきたようで、「よし、またセミナーをやってみよう」という気分になったのです。
しばらくの間、自分を大切に扱うことに集中したことで、何が自分にとって大切なのかが分かってきたからかなと思います。
それから、人前で話すのは苦手だけどセミナーをやめてしまったら、自分自身に対する信頼も失ってしまう気がしたんです。
自分のことを一番よく分かっているはずの自分自身を信用できず、自信なさそうな態度をとっていたら周囲の人だって誰も私のことを信用できないでしょう。自分にも大切な人たちにも恥じることなく生きて行くためにも、失敗してもいいからやってみようと。
なんだか、すごく大げさな表現になっちゃいましたが、私にとってはこれが最近の気づきの中で一番大きなものだったんです。
これで、本気でセミナーに取り組む覚悟ができました。

「自分自身に恥じない生き方をすること」が私にとって自分を大事にすることであり、これからの人生のテーマかな。そうしたら死ぬ間際に後悔せずに済みそうだしね(*⌒―⌒*)





戦争の記憶〜祖父の話より〜
原爆の日やら終戦の日が続いて、戦争に関する番組もちらほらやっているようです。
そういった番組を見ていて、ふと思い出した祖父の戦争体験談。
以前にもこのブログに一部書きましたが、もう少し書き加えておこうかなと思います。

第二次大戦当時、祖父は10代後半。
平和な時代であれば青春真っ只中のはずでしたが、田舎の農家出身の祖父は学徒出陣で徴兵され、最初は訓練を受けながら空襲の被害を受けた地域での遺体処理したり、その後は空軍で飛行機に乗ったりしていたようです。
敗戦が色濃くなる時期に入ると、ろくに訓練も受けていない10代後半〜20代の若い学生たちまでもが戦地に駆り出されていったんですよね。訓練を受けていたからいいというわけでもないですが・・・

静岡県浜松であった大空襲後の遺体処理は、手足が吹き飛び、眼球が飛び出したようなむごい物ばかりで10代の少年にとっては相当ショックだったろうし、苦痛以外のなにものでもなかったと思います。
防空壕に避難していた人たちが全員爆弾でやられてしまっていた場所もあったそうです。
「兵隊さん、うちの子を助けて」と血だらけの赤ん坊を抱え、自身も痛手を負い動けなくなっている母親に引き留められたけど、祖父にはどうすることもできず、泣く泣く立ち去ったという話もしてくれました。

飛行機は非常にシンプルな作りで、高度1000メートルを超えると寒くて手はかじかみ、思うように操縦するのが難しかったそうです。でも、地上からの砲撃を避けるためには高度2000メートル以上で飛ばねばならず、寒さでガタガタ震えながら、必死で手の震えを抑え込むために手をハンドルに縛り付けたりしていたそうです。
仲間の中には凍傷にかかるものも多かったとか。
祖父の空軍での役目は攻撃ではなく、偵察と情報伝達が主だったようなので、人を殺したという体験はしていないと思っていますが、もしかしたら誰にも話していないだけかもしれません。
戦時中に敵方だった相手とはいえ、その人も家族も恋人もいるただの人です。個人的にはなんの恨みもない人を殺すということは想像を絶するほどのストレスを抱えることになります。
そして、以前も書きましたが、祖父の兄は20代の若さで、行きの燃料だけ積んで敵艦に突っ込む人間魚雷に乗りこみ玉砕したそうです。

祖父は87歳になりますが、今でも戦時中の恐ろしい体験がフラッシュバックすることがあるそうです。
終戦から70年近くたった今でも、戦争を体験した人たちは苦しんでいるのです。

戦争なんて百害あって一利なしです。
今のイラクやガザ、ウクライナを見ていても思いますが、一部の人間のエゴのために、関係ない多くの一般市民が犠牲になっていることに心が痛みます。
武力で抑え込めば、抑え込まれた者たちが反発するのは当たり前。それをまた武力で抑え込もうとする。これでは永遠に終わらない悪循環。
武力に武力で対抗すれば戦争になる。どうしてそこに気づかないのかなぁ・・・?